2017/06/29

いかれた欠片たちは二度と戻ってこなかった



あーりーんがインターネット息苦しいなあと感じ始めたのは、何気ない日常的質問を検索エンジンで調べたときに、ある種のわけのわかんないサイトが検索結果の上の方に来るようになってから、かな・・・。厳密には、わけはまあわかるんだけど、結果的にはわけわかんないし、端的にいうとそれは、不愉快なほどに小奇麗で、そのくせに知りたい情報は一切書かれていない、ブログのようなさわがしいパブリシティだった・・・。

昔のインターネットの検索結果の上の方も、わけわかんないページは割とあった。あったけれども、そのわけのわかんなさは、個人の手探りとか混乱とか突発的自己顕示的発露によるものばかりだったと思う。ネットってそもそも「そういうところ」だった。かつて出会ったそうしたウェブページたちは概して、手作りの(あるいは、ホームページビルダー製とかの)HTMLに、作り手の情念とか執着とかが篭っているような世界で、それはいわば狂気の片割れに近いものであったはずなのに、なんだか当時のあーりんには暖かいように感じられたんだ。他のインターネット・エクスプローラーたちがそれを見てどう感じたのかはしらないけれども、あーりーんはそういう、見知らぬ個人の今後永遠に戻ることもないホームページの断片が、まあ、どっちかといえば、好き、だった。
そしてそうしたページたちは、今ではめっきり見なくなった。「無料レンタルサービスの終了」とか「更新に飽きて放置している内に期限に達した」とか「単に消した」とかの要因で、じわじわとインターネットの世界から去っていったのかな、と思う。
・・・いや、きっと探せば、今でも想像以上にそれらは残っているに違いない。あえて、狙って探せば、だけれども。少なくとも、それらは検索結果の上位という領域からは立ち去った。新たなるページたちが押しのけたのだ。だから、「検索結果の上位こそが識閾下に成り得る」というありふれた競争的観点で言えば、やはりそれらはこの世界から消えてしまったのだ。

そういった、ウェブのだいなみずむとか時代の流れとでも言うべき方向性は、ある意味合理的ではあるし、仕方がないことのようにも思える。新時代のわけわかんないサイトによって、助かっている人もいるに違いあるまい。
要は、ただ、ここに息苦しいなあと感じる、いわば老いてしまった、ひとりの人間がいるだけだ。

そんな個人が、統計的になんの意味もない、まさに旧時代的怪文書を、こうして新たにウェブ上にこしらえている。
あえて格好悪くいうならば、あるいはそれは祈りかもしれない。というよりは、ただの呪詛のようにも思える。

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いかれた欠片が、わーるどわいどうぇっぶの空に浮かんだ そして消えていった風景ばかりを憶えていた
代わりに今やまばゆい経済学たちが 売春仲介者的な笑みをこしらえながら 検索結果にこしかけている

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